出生

白隠禅師慧鶴は、1685年1月19日、駿河国(現在の静岡県)原の長沢家の三男に生まれました。昔、原は東海道の宿場町のひとつで、長沢家は代々原宿の駅長でした。

出産の前夜、母は不思議な夢をみました。伊勢神宮の神の使いという男があらわれ、生まれる子は日本中の人々から慕われる人になる子だと予言したのです。

父と母は大変に喜んで『岩次郎』と名付け、大切に育てました。

幼少期

岩次郎は身体的には成長が遅く、3歳までは立てなかったと伝えられています。

けれども、非常に利発な子で、子守りが歌う、小夜の中山の村歌三百余首を、背中で聞いて覚えてしまいました。暗記力が優れていました。感受性も強く、5歳の時、はした女に連れて行かれた海岸で、雲の往来を見て「いかさまかわったものだ」と、子供ながらに、無常感を起こしたそうです。

岩次郎の母は信心深い人で、寺へ行くのが好きでした。岩次郎は泣いてせがんで、母と一緒に連れて行ってもらいました。大人でも難しい説法を覚えて帰り、家の使用人達を集めて、話して聞かせました。

11歳の時、母に連れられて、原の昌源寺へ日厳上人の天台の『摩訶止観』の講義を聴きに行きました。上人は雄弁に地獄の有様を説きました。血の池や針の山や煮えたぎった大釜の様子を詳細に描写しました。

岩次郎はガキ大将で、近所の子供達を率いて悪戯をし、殺生もしました。地獄の話しを聞いて、岩次郎は恐怖に震えました。昨日、殺した沢山の蛙が恨んで、自分を地獄へ引っ張り込みにくるのではないかと思ったのでした。

風呂に入り、湯が温まって、釜が鳴りだすと忽ち地獄を思い出して激しく泣き出すほどに怖気づきました。母から、西念寺にある天満宮は威徳霊異であると聞き、地獄の苦しみから逃れたい一心で、日々、参拝しました。

12歳の頃、『観音経』や『大悲咒(だいひじゅ)』の読誦が霊感があると聞いてこれを唱えました。次第に出家したいと願うようになりました。

14歳の時、徳源寺の僧に『句雙紙(くぞうし)』の素読を習い、3ケ月で暗記しました。自在身(火にも焼けず、水にも流されない悟りの境地)を得ようと固く決意していました。

1700年、15歳の時、遂に反対していた父母の許しを得て、松蔭寺の単嶺和尚の門に入り、慧鶴と称することになりました。この寺は父の叔父である大瑞和尚が建てた所です。沼津大聖寺の息道(そくどう)和尚にも指導を受けて、非常に可愛がられました。

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