猛烈な禅修業をして、体調がおかしくなりました。頭がのぼせる、手足や腰が凍りつくように冷える、耳鳴りがする、消化不良と悪夢に苦しめられて、眠れない日々が続きました。いわゆる『禅病』を患いました。精神的にも疲れきって、ノイローゼになりました。本来、悟りを得れば、日常においても自由自在になれるはずだが、実際は違うと、その矛盾に迷って、心も病んだのです。
26歳の折り、仙道・医道に通じた隠者を京都白河の山中に尋ねました。その白幽真人(はくゆうしんじん)に内観修養の秘訣を聞きました。教えを実践して治癒しました。後年、その体験は『夜船閑話』に記されます。
29歳の時、伊勢建国寺の虚堂録会に出かけました。さらにその足で九州の古月和尚を尋ねるつもりで京都まで行きましたが、古月和尚の噂で気に入らないことを耳にしたので、予定を変えて、若狭円照寺に鉄堂和尚を訪問しました。
次いで河内慧極和尚の元に行きました。「私はほぼ悟りを得たといえども、日常生活に於いては真の大安穏・大解脱に到達していない」と訴えて、示諭を乞いました。山中での暮らしを勧められました。
和泉国視信太の曹洞宗蔭涼寺に半年程滞在しました。翌春、美濃保福寺で3ケ月の修行をしました。秋には美濃の岩崎霊松院万休和尚のもとに至りました。
それぞれに大いに感じるところがありました。
31歳の春、虎渓山に赴き、山之上村の巖滝山に、土地の居士の庇護を得て草庵を作りました。ひとり座禅修行をして、32歳の冬まで過ごしました。
その頃、父が病気になり、老僕が遥々と山中に尋ねてきました。強いて懇願し、遂に慧鶴を松蔭寺へ連れ戻しました。33歳で、破れ寺になっていた松蔭の住職になりました。
翌1718年(享保3年)3月11日、妙心第一座の位を得て、34歳ではじめて『白隠』と号しました。その語義は、富士山が雪におおわれ、山肌を白く隠されて、麗しく聳え立つ意です。少年時代から秀麗な富士の姿に魅せられていたのでしょう。
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